チアキカシマを想ってシンガポールの孤児院に寄付をした話

 

囚われのパルマ、5周年を前にして公式からのアクションがまだない。


まあ当日発表なんだろうな、そうならそうって早めに言ってくれよいや言ったら当日発表じゃないじゃんなどと、むしゃくしゃもやもやする日々を送っている相談員の温川です。
5周年がこないのはお布施が足りないからですか?などともはや被害妄想の域に突入しそうで自分がこわいが、少なくとも営利である以上それはいつかの未来に実際にあるはずの話。そんな現実はさておいて、彼が望むならできる限りのことはしていきたい、貢ぐタイプの女。作中も含め相談員は基本、貢ぎ体質だと思う。
さて、そうは言ってもアプリ内の大半に課金はし尽くした。遠隔地なので公式カフェなどには貢献できない。そうなると、どこに貢献していけばいいのか?課金することでしか愛を伝えられない、ガラスのこちら側の悲しきモンスターは考える
まず、買うつもりのなかったソフビに手を出した。パルコの通販で大量にシーハイブのボールペンを買って家中に置いた。会社にも置いた。もはや奇行と言われても良いとすら思っている。香水もたくさん買ってしまった。愛する人の香りがなくなると悲しいので予備は大切だ。
ほかに何かないか?ないな。意外とない。ひと頃ならもっと買えるものもあっただろうに、現時点で遠方から打てる手は少ない。(なにか貢ぐいい案があったら教えてください)

 

そんなことを考えていたある日、ふとしたことでシンガポールや児童福祉関連の話をする機会があった。
脳裏によぎるチアキカシマの面影——からの、彼の幼少期について。
そうだ、シンガポールの孤児院に寄付をしよう。
これは美談でもなんでもない。温川は善人ではないからだ。ただの自己満足の短い記録である。

 

 

 

寄付先について考える


さてシンガポールの孤児院、それも近隣に教会があるところ。これが開発陣による全くの創作の産物なのか、はたまたモデルがあるのか?できればモデルがあってほしい。そう願いながら、まずは情報収集。「Singapore orphanage」あたりで検索してゆく。
東南アジアにおいて、まずインドネシアに孤児院が多いというのは聞いたことがあった。確か、なんとかいう島には大小合わせて数千の孤児院があるらしい。そうなると、狭いにしても隣国シンガポールにはいかほど孤児院があるのかと身構えたが、Google マップで検索して出てきたのは20軒ほどで少し拍子抜けした。しかし、検索で出ないような小さいところはきっと無数にあるのだろうし、本来ならばそういうところに支援を入れたいなと思ったが、今回は私の可愛らし〜い英語力と惨憺たる中国語力でさくっと寄付までいけるところを探すしかない。この中からできるだけ条件に沿うところを選んでいこう。
候補を地図上でじりじりと見ていくが、手がかりとなるものは少ない。結局は前述した通り、「近くに教会がある」ということくらいのものである。あえていうなら、孤児院本体がキリスト教系だという記述はなかった気がする。教会にシスターがいたということはカトリックかな。うーん、それ以外に何かあっただろうか。会話において全部の選択肢をつぶしたわけでないので、もしかしたらこの件に関してわたしの知らない重大な情報があるかもしれないけど、そんなことを言い出したらキリがないので今はまあいい。それに、わたしには伝家の宝刀「フィクションだから!ね!!」がある。そして、フィクションなのはもちろんだがあえて現実に当て嵌めて考えたときに、ひとつの大きいポイントとして、チの人が施設にいたのは2021年現在から考えて30年近く前だということがあった。*1

 

*1 ハルト編リリース時点をそのまま「2016年現在」であると仮定し、チアキ編はその5年前ということなので、わたしはRefrainの舞台が2011年であるということにした。年齢について明示されてはいないが購買ターゲット層から想定される彼は20代後半程度、施設にいたのは10歳までである。


今のわたしに30年前のシンガポールのことを調べることはできない。しかし、最終的に条件が合わずとも、「時が流れたのだ」で済ませることができる。なんと伝家の宝刀は二刀流であった。ご都合主義でしかないが、まあどちらにしても「寄付したい」はこっちの「ご都合」なので、どうであれ自分が納得できればそれでいいと思っている。ただ、やはりできるだけ条件に沿っていて、「ここだ」と思えるところにしたいのは人情というものである。

 

 

さて検索作業に戻る。
戻るというか、ここまでつらつらと書いてきてなんだが、もう1800文字も超えてきたので簡潔に書くと、近隣にカトリックの教会がある施設はあったし、無事寄付ができた。(今はこれを、寄付が完了した勢いで書いている。)
この施設は「孤児院」というより、どちらかというと「児童養護施設」というほうが適当かと思うが、そこはそれ。ただ、ここは創設100年を超えていて、そのあたりは想定した条件に一致していたのでよかった。旧い時代には「孤児院」という立ち位置だったかもしれない。(確たる歴史があるということは、五十鈴大使的な人が視察に来ることがあるかもしれないし)

(あと、後日で追加されてる面会データだと『児童養護施設』って言ってました、あれ?)

また、ドネーションページがきちんと用意されており非常にシステマチックだったおかげで、寄付は非常に手軽だった。
わたしが寄付した金額の多寡はここに記載することではないので秘するが、25シンガポールドル(2021/8/27現在でおよそ2030円)からクレジットカードなどで送ることができる。

 

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愛を託すというわがまま

 

そんなわけで、5周年の音沙汰がないおかげでとち狂った一人の相談員は、無事目的を達成したのだった。
これもひとつのゲーム脳と言えるのだろうか?身の周りに知られると、現実とゲームの区別がついていないと思われかねない行動だ。もちろん彼はフィクションであり、とてもいい男だしわたしは実際に愛しているが、どうあがいても存在そのものはなく概念だ。
でも、事情があって施設に暮らす子供たちは実際にいる。いろいろ考えたときに、どうしてもひとりの「ユーゴ」がそこにいるかもしれないと思ってしまった。彼への愛を、少しだけでも託したいと思ってしまったのだ。
全く愚かしいと思いつつ、事実は「寄付をした」それひとつだ。何を悪いことがあろうか?誰ひとり損はしていないのだから。

 

 

 

最後に


ありがとうチアキカシマ
君への愛ゆえにわたしはひとつ善行を積むことができた。
そう、すべては君への愛ゆえに、だ。
もう一度書こう、ありがとうチアキカシマ。

これからもよろしく頼む。